民度の高さは人の純粋なリテラシーから来るものか。それとも他人の目を気にし過ぎる村意識から来るものか。
先日の麻生大臣による「我が国の民度は諸外国と比べて高い」というコメントを目にして「よく言ってくれた」と思う反面、こんなことを考えてしまいました。

こんにちは。六弦A助です。

国を創るのは人。
高い民度を維持するためには、同時に安定した雇用も維持されていなければなりません。
しかし長期化するコロナ禍の前に、それがいま揺らぎつつあります。

政府は企業の雇用維持を促進するために「雇用調整助成金」という制度を設けましたが、どうやら支給が一向に進んでいないようです。
というのも助成金の不正受給を懸念するあまり、申請基準をかなり複雑化してしまっているようで、このハードルを越えられる企業しか審査対象として認めてもらえない状況のようです。

こういった複雑な仕組みを代行申請するために存在するのが社会保険労務士という職業の方々なのですが、そんな彼らが続々と申請援助を拒んでいるというケースが見られるそうです。
というのも、多くの中小企業が従業員の管理体制をずさんに行っているらしく、もし申請内容に不備が見られた場合、その責任は企業側だけではなく、彼ら社労士にも向けられてしまいます。
「おまえが付いていながらこの企業の内情はいったい何だ!?」ということなのでしょうか。
こういった状況が重なり、なかなか雇用調整助成金の支給が進んでいないというのです。
しかしこのままでは雇用が失われ、多くの失業者を出してしまいます。

仮にこのまま雇用が失われて失業率が増加するとどうなるでしょう。
今はグローバル社会ですので、国内だけでなく海外の出来事も少し覗いてみましょう。

先月アメリカで起きた警察官による黒人暴行死事件から端を発した暴動は、失業者も巻き込んで今や世界各地に飛び火する大規模な抗議デモへと発展しています。
失業とは収入源を絶たれている状態。収入がなければ生きられません。
つまり、生き続けたいという生物にとって最低限度の欲求、言わば本能が脅かされている状態とも言い換えられるので、そりゃ暴動も起きるわけです。

一方その頃、比較的平和な日本では何が起きていたでしょう。
SNS発展の裏で知る必要のなかった情報にまで触れられる状況がやがて多くの人々を不幸にしたように思います。

「嫌なら見なければいい」
そんな言葉もよく目にしますが、そういった不利益な情報に限ってまるでふいうちのように目に飛び込んで来ますので、避けようにも避けられないことがあります。
まして今やAIのアルゴリズムによって、望んでいない情報やアカウントが空気も読まずにおすすめされたりもします。
そうしている間に私たちは実感の伴わない非常にゆるやかなスピードでじわじわと精神を蝕まれて来たかもしれません。
その結果、自発的に何かを発信する気力は失われ、ついには誰も傷付けない無難な発言しかしなくなる、飼い猫の写真しかアップしなくなる、もしくは誰かの意見に賛同するか否定するだけになってしまう人が今よりもっと増えるかもしれません。

誰かの意見への否定はやがて自分の意にそぐわない特定の誰かに対する攻撃へと変わり、今ではとうとう社会問題にまで発展するようになりました。
他人の目を異常なほど気にする日本人の一部の人々は、ネットの匿名性に守られながらオンライン上で暴徒と化しています。

隣の香港では実名の若者たちが自分達の尊厳を守るために命がけで抗議デモを行う傍ら、我が日本ではネットの匿名性に守られながら平気で他人を中傷して死に追いやる陰湿な暴動を引き起こす人々がいます。
香港の若者たちが命をかけて守りたがっている尊厳を、当たり前のように守られ過ぎてなかなかマイナンバーカードが普及しない我が日本。
本当の民度を手にする日は遠い。