あなたは人生のどこかのタイミングで「一番を目指せ」と言われたことはないだろうか。
例えば学生ならばクラスで一番。部活動だと県大会で一番。社会人ならば今期の営業成績が一番、という具合だ。

昨今、ビジネス界隈の記事などでも「世界で戦えるナンバーワン企業に」「代替不可能な人材に」といった言葉たちが連日頻繁に踊っている。
しかしここで素朴な疑問が生じてくる。
「ナンバーワン」とは、本人より他にライバルがいない状態。つまり言い替えるとそれは「オンリーワン」を意味しているのだ。
実際、クラスの一番は次に校内で一番へ、それをクリアすると次は地域で一番を目指し、やがては全国を目指すことになる。
日本一になるといよいよゴールかと思いきや、次は世界が待っており、そこには信じられないような怪物たちがうようよとひしめいている。
そこで頂点に立たなければナンバーワンとは言えないだろう。
つまり、ナンバーワンとは常にただ一人しか存在しないということだ。
それではそれ以外の人々は「ナンバーワンになれなかったその他大勢」なのかと問われると、決してそうとは言いきれない、というのがこれからお話しする私の考えだ。

まず根本的な疑問として、上記のケースは「誰が」一番になれたのかという、ひとりの人間がナンバーワンになるまでのサクセスストーリーに偏ってしまっていること。
例えばAmazonのCEOジェフ・ベゾス氏が世界一の小売業を築いたことは有名だが、決して彼ひとりでそれを成し得たわけではない。
その裏には彼を支える家族の存在、母校の教師、顧客と社員、Amazonのサプライチェーン(供給網) を支える様々な業種の人々、株主や銀行などの利害関係者、そしてこれまでに一瞬でも関わってきた友人知人たち。
そしてともに戦ってきたライバルたち。
街で偶然すれ違っただけだが、なぜか記憶に残っている人たちも入るだろう。
彼ら全員の力があってこそ、Amazonは世界一の企業になれたのだ。
つまり、ここに挙げたすべての人々が同列にナンバーワンであり、ベゾス氏はその代表に過ぎないのだ。
なぜなら彼らとベゾス氏は同じ世界の中で利害を一致するものとして共生しているからだ。
Amazonにとってベゾス氏は必要不可欠だが、それと同時にAmazonにとって同社を取り巻くすべての人々もまた必要不可欠な存在であり、Amazonが存在し得るこの世界もまた必要不可欠な存在なのだ。
その大きな輪の中で、各々がそれぞれの役割を懸命に果たそうとするならば、それはもう、立派に皆が等しく「代替不可能なナンバーワン人材」と言えるのではないだろうか。
これはひとりの力で一番になることはできないが、狭い範囲で一番の人々が複数集まれば彼らが世界でナンバーワンになることも不可能ではない、ということを示している。
例えば家族の中で一番という、ごく狭い範囲の存在だったとしても、そういった人々が集まれば大きな力になる。
その力はやがて地域で一番となり、日本一になり、世界で戦える集団に成長するかもしれない。
そうなるためにはどうすれば良いのか。

私たちは分かりやすい数字だけで優劣を語りたがるが、本当は誰がどの役割の中でどのように輝いているのかを、もっともっと知らなければならないし、気づいてあげなければならないように思う。

いつか戦いに疲れて戦場を離脱する人々も出てくるだろう。
彼らを努力不足や自己責任と断じるのは簡単だが、ナンバーワン人材はそんな彼らを救えるだけの強さと知恵を備えていて然るべきなのだ。
ゆえにナンバーワンなのだ。
その力は当然、社会のために役立てるべきであるし、それこそが持続可能な社会を築く原動力となる。

思うに社会はおそらく性悪説で成り立っているが、私たちには少なくとも相互扶助の考えがあり、また、利害関係性を理解できるだけの知識も持ち合わせている。
それぞれが何かしらの分野においてナンバーワンの力を持ち寄れば社会は今よりもっと豊かになり、より多くの人々を幸せにできる。
その力はきっと誰もが持ち合わせている。
うまくいかないのは、うまく人々がマッチングできていないだけなのだ。
私の代わりがどこにもいないように、あなたの代わりはどこにもいない。
Aさんが亡くなったからといって、Aさんが戻ってくることはないのだ。
この不確実な時代において、それだけは確かに言えることなのだ。
だから私たちは自分の役割さえ責任を持って全うしていれば、それだけで十分社会に対して価値を示していると言えよう。
その中で自らの価値を高め合い競い合うのは重要なことだが、協力し合うことこそが繁栄のためにはより重要だと言えるだろう。
私たちは個である以前に社会を生きている。
社会に生かされている。そこでは誰もが必ずどこかで繋がっている。
それもまたこの不確実な時代において、確かなことなのだ。

だから何がやりたいかではなく、自分に何ができるのか。
例えそれが小さくとも、誰かのために自分はいったい何をしてあげられるのか。
そういった日々の問い掛けこそが、社会を多様で持続可能なものにするのだろうと思う。
これもまたこの不確実な時代において、確かなことだと私は信じている。