心のどこかで「ずっと変わらないと思い込んでいたもの」って、ありませんか?
「あの人はずっと変わらず元気に10年後も生きてるんじゃないか?」と思う人が身近な人に限らず、いませんか?


皆さん既にご存じかと思われますが、志村けんさんがコロナウイルス感染によりお亡くなりになりました。
まだ70歳だったそうで。

どうも、六弦A助です。
珍しく芸能人の訃報に触れます。
思い返すと2016年にデヴィッド・ボウイが亡くなったときの衝撃とはまた別の、何と言いますか、例えるならこうです。

小さな頃からずっと近所に住んでいた少し風変わりなおじさんがいて、ご近所さん達からはあまり好かれてはいなかったんだけど、なぜか自分はそのおじさんのことが嫌いになれなかったのでよく話しかけていたと。
そしたらいつしかそのおじさん、自分にだけは心を開いてくれるようになって、よく家に招待されたり、いつも学校へ行くときに「忘れ物はないか? 車に気を付けて行けよ」なんて声をかけてくれたりと、何かとお世話になったとしましょう。
いつしか自分は大学生になって、住み慣れた実家のある土地を離れて上京し、一人暮らしを始めてそのまま就職し、しばらくまともに帰省すらできていなかったとしましょう。
そんなある日、母から電話がかかってきて「またあとで掛けなおすからいいや」と思っていたら今度はLINEに母からのメッセージが。
何だか忙しないなぁと仕方なく見てみたら「あのおじさん、今日亡くなったって」とあった瞬間の心を抉られるような衝撃に近いです。
長くてすみません。

志村けんさんといえばバカ殿が有名ですが、何といっても「8時だョ! 全員集合」が私にとっては直撃世代だったので、子供のころから慣れ親しんだ人がある日突然いなくなるのは、やはり来ますね。

この喪失感の正体はですね、志村けんさんがいなくなったことに加え、おそらく志村けんさんの笑い(特にバカ殿)が様式美だったからだと思われます。
例えばビートたけしさんにしてもそうなのですが、誤解を恐れずに言うと、彼らの笑いは今の時代において特に面白いわけではないのです。
面白いわけではないけれど、なぜか昔からずっと変わらないスタイルなのです。それが見ていて視聴者に安心感を与えているのです。
吉本新喜劇のベテランによるボケもそうです。
この「いつでも変わらずそこにあるのが自然だった何か」が失われたことによる 喪失感 なのです。

エンタメも社会も常に変化が求められる昨今ではありますが、こうした「変わらないことが大勢の人たちにとって一定の価値を生んでいる」というような様式美も、少しは見直されてくれればと思います。

ご冥福をお祈りいたします。