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カテゴリー: Column

Dark Governance Code

文化芸術の発展に資する作品づくり

文化芸術に対して真正面から向き合うような活動をしていると、そのどこかで必ず社会問題と対峙するような機会が訪れます。
なぜなら文化芸術とは、古来より社会の在り様や思想を表現してきたという歴史があるからです。
絵や音楽、文学や演劇に至るまで、それらすべてが社会に生きる人々の葛藤や思想を描いてきました。
だから文化芸術に多様性が見られるなら、それは人々の考え方や捉え方もまた多様であり、それだけ社会が平和で成熟している証とも言えましょう。

こんにちは。六弦A助です。

先ほども申し上げましたように、文化芸術はその時代を生きる人々の思想や信仰、葛藤などを表現するのが一般的です。
その中でも学術としての側面をできる限り削ぎ落して、相対的に誰もが容易に楽しめるようにしたものがいわゆる娯楽としての文化芸術で、一般に「エンタメ」と呼ばれるものです。
おそらく多くの人にとって最も身近な文化芸術は、この「エンタメ」なのではないかと思われます。


先日、文化庁が実施していた芸術活動に関するアンケート調査に答えてきました。
全部で10問程度だったように思いますが、私はそのアンケート内容を見て思わず考えさせられたのですね。
どの質問にも必ず「文化芸術」というキーワードがあり、かつ文化芸術に対して日々どのような意識でどのような取り組みを行っているのかを問うような質問が頻繁に見受けられました。
つまり、文化庁としては文化芸術を「エンタメ活動」というよりも「アート活動」として捉えている、もしくは芸術家にはそのように捉えて欲しいと考えている、という気持ちの表れなのかもしれません。
どちらにせよ日本の文化芸術の発展に貢献する活動なのか、そうでない活動なのかを案外シビアに見ているのは間違いなさそうです。
文化芸術に関わるものとしては、その活動方針に恥じない作品を生み出さなければなりませんね。

とはいえ我が六弦アリスは、昨年から続くコロナ禍による相次ぐイベントの中止で思うように新譜発表の予定も立てられない状況ではありますが、逆に新譜を出さなかったことで発見できたこともありました。
これまで見過ごしてきたものに目が行き届くようになり、新しいサウンドの方向性も固まって参りました。
そして何より、六弦アリスとしては正しい方向に軌道修正するための十分な時間ができたこと。
これはとても大きなことです。
今後は「ダークなテーマ」による一貫した活動形態へと生まれ変わることでしょう。
これまでもそうではなかったかと?
いえいえ、今後は更に一貫して参ります。

これまでにも何度かお伝えしておりますが、新譜の構想は既にできております。
現在アートワークの調整にやや時間を取られておりますが、コンセプト自体は順調に詰めている最中です。
あとは全体のサウンドと歌詞の表現技法に関する方向性さえ決まれば、いよいよ制作のターンに入ります。
ここからはとても速いです。
これまでにないような体験を生み出すべく、日々基礎研究や応用研究を繰り返しております。
Twitterだけ見ていると大して何もやっていないように思われるかも知れませんが。
今はお伝えできるほどの派手な情報がひとつもないのでお許しを。
そのうちドーンと行きます。

ということで、日本の文化芸術に恥じない作品の完成を目指して頑張っておりますので、今後とも応援の程よろしくお願い申し上げます。

島国日本と水槽の世界

こんばんは櫻井アンナです。
先日は首都圏でも緊急事態宣言が解除されましが、感染者数が増える一方…。
このままだとすぐまた東京は、感染者が千人超えになるのではないかと少し恐ろしく感じています。
このところ休日も家でハーブや水槽の住人達のお世話をしながら、ステイホームな生活を送っているのですが、その生活の中で水槽の世界を覗いてみるとまるで隔離された一つの国の様だなぁと思う事があるのです。
そこに生きる住人はエサの量と水質を保ってあげると、それぞれのパワーバランスと生活圏を守りながらのびのびと暮らしているのですが、管理している人が病気を持った生き物をその中に入れると、感染が広まって全ての生き物が死んでしまうこともあるんですね。
だから新しいお魚を迎えるときは、2週間~1か月程発病しないかどうかを見極める為に隔離水槽で過ごしてもらいます。

◆隔離水槽

◆本水槽

その後なんともなければ本水槽に入れるのですが、これが水槽の管理者一人の思惑だけで動いている場合であれば簡単な事なのでしょうが、一つの国ともなれば様々な分野の人達の思惑が交錯して思い切った手段が取れないまま感染拡大と営業自粛を繰り返すんじゃないかなぁと思いました。
こういう緊急事態が起きた場合だけ発動される独裁法とかがあれば治まりそうですが、日本では難しいのでしょうね。
国ができないのであれば、私達ひとり一人が感染を広げないように気を付け、一日も早く気軽に直接会える日が来るようにしていきたいですね😉✨

それでは今夜はこの辺りで、週末は人のいない桜のスポットで写真を撮りに行ってこようかなと思っています♪
またブログやSNSでお会いいたしましょう。

食糧問題とコオロギ

こんにちは櫻井アンナです。
先日はTwitterでコオロギせんべいを手に入れたとお話していましたが、実はまだ食べていなかったので本日開封してみました♪
こちらは昨年から販売開始されていたのですが、発売当時はどこに行っても手に入らなくて一年越しにようやく手に入れたわけです😁

気になるお味は…

食べてみた感想はというと、エビから海の香りを除いて穀物の香ばしさを足した感じで、全く何の抵抗もなく食べる事ができました。
食糧危機で育成から出荷までのサイクルが早く、栄養価も高い昆虫食が注目されているみたいなのですが、お肉がまだ食べられる状態の中で食べるから物珍しさもあってこれもアリかな~と思えるのですが、お肉とどちらが良いかと聞かれるとやはりお肉に軍配が上がります。

環境負荷は少ないというけれど、

コオロギの飼育は環境負荷が少ないといわれていますが、牛や豚をそのまま飼育するのではなく肉の部位の細胞だけを組織培養すると環境負荷はどの程度ものになるのかな~と考えたりもします。
それがもし環境負荷が少ないのなら、その線でも頑張ってほしいな~と個人的には思うのですが、実際はどうなんでしょうかね??
植物だと組織培養は当たり前に行われている事なのですが、動物の肉となるとまだ研究途中の様ですね(^^;

コロナの裏で進行中の問題

どうやらこのコロナ禍の裏で、環境問題や食糧問題などが山積みになっているそうで、2030年までに解決しないと地球が住めなくなるぐらいに環境が悪化するらしく、あまり時間が無いように思います。
私たちにできる事は、極力エコな生活をするということ(リサイクルに取り組むとか植林だとかエネルギーを節約する)なのですが、極論を言ってしまうと人は生きているだけで環境破壊をしているとも言い換えられますので、これを解決するのはほんと難しい問題だと思うのです。
単純に人が減れば良いかというと、少子化が進むと今度は人間の社会活動が成り立たなくなるので、それも難しいというか…一度崩してしまったバランスをもとにもどすのはとても難しく、まるで借金を抱えた状態で生活を送る様なものなのだと思います。

山積みの問題とどう向き合うのか

環境、食糧問題に限らず、人は山積みになった問題を目の前にすると、あぁもうダメだと諦めがちなのですが、少しずつでもその問題を解決して行けば徐々に良い方向に向かうと思うので、目を背けずコツコツと解決していくことが重要なんでしょうね。

西川きよし師匠も言っておられましたものね。 
”小さな事からコツコツと”と

私も自分にできる事から少しづつ取り組んでいきたいと思います。
さてコオロギせんべいからだいぶ話が大きくなってしまいましたが、今回はこのぐらいで、またブログやSNSでお会いいたしましょう😉✨

黒の申告

六弦A助です。
受験生なので作業時間以外は勉強漬けの毎日です。

それはそうと、私の周りにはフリーランスとして働いている人が多いのですが、皆さん総じてお金の計算や管理が苦手なのですね。
私は目指している資格の関係上、少しは金融や法務の知識があるので、苦手な方のために少しでもお役に立てればと思い、申請可能な国の助成金や補助金の存在、申請方法などをごく身近な方々限定で広めておりました。
ところが意外なことに多くの方が詳しい話を聞こうともせず「自分は影響がないから大丈夫」と言うのです。
彼らは明らかにコロナの影響下にある舞台関係者や音楽関係者、映像関係者です。
不思議に思われるでしょう。
普段はあれこれと包み隠さず活発に意見交換していたはずの方々が、なぜか今回は様子がいつもと違う。
妙に自らの現状を語りたがらないのです。


おそらく彼らは本当に大丈夫なわけではなく、コロナによってあまりに唐突に窮地へと追いやられたものですから、冷静ではいられなくなり、かつそんな打つ手なしの自らへの情けなさなんかも相まって見栄を張ってしまっているのです。
そんなに思いつめる必要なんて、本当はないのですが。
おそらく現状は何をすれば良いのかが分からない、というところでしょうか。
引き続きお節介しています。

何をすればわからないと言えば、、、
私は2017年頃、自分が何だか社会から置いて行かれているように思えて一年間病んでおりました。今だから言えることです。
脈絡なくなぜそのように思うのかと不思議に思われたでしょう。
おそらく鬱症状です。置いて行かれていたのはまあ事実です。
音楽にかまけてばかりで社会で起きている時事問題などはもとより、身の回りで起きているできごとさえ知らないほどには愚鈍でした。
音符は読めるけど経済指標が読めない。そんな感じでした。
で、完全に病んでしまっている状態ですから当時は何をしてよいやら何がしたいのかもわからない状況で、何だか地に足のつかないフワフワとした日々だったのです。
だから何かを変えなければと仕事以外の時間はひたすら勉強に費やしました。
そんな日々を一年ほど続けると、少しずつですが本来の精神状態に戻って行きました。
そうしてようやく不器用ながらも自分がいったい何をしなければならないのか少しずつ見え始めて来ました。

私はいま、中小企業診断士の国家資格取得を目指して勉強をしております。
それはかつて苦しめられた “雑音” に惑わされずにアート活動を続けるためでもあるし、新たに見つかった実現したい長期目標への足掛かりでもあるからです。
このあたりについては前回の記事にも書きました。
もしもアート活動は続けたいが、その理念を様々な “雑音” に邪魔されて道に迷ってしまっている人がいれば、自らの理念を曲げてまで「その活動だけで生きること」にしがみつかないでほしいなと思います。
お金の問題だけなら、選り好みしなければいくらでもやって行く方法はあります。
しかし理念は一度崩してしまうと元の状態に戻すのにとてつもなく時間が掛かりますし、戻すのはほぼ無理くらいに考えてもいいくらいです。
だからあまり「こうでなければならない」なんて決め付けず、肩の力を抜いて等身大で生きても良いのではないかと思います。

どうせ生きていく方法なんて、こだわらなければいくらでもあります。
わざわざ自分に足枷をつける必要なんてないし、わざわざ活動をやめる必要もありません。
すべては生きてこそ。

フリーランス諸氏に捧ぐ


最後にひとつだけ。


確定申告はちゃんとしような。